ブログを本名でやらない理由

「こんな失敗から学びを得た!」とかブログに書くとして、それを役立ててくれる人がいる可能性があるのは分かる。けど、その失敗に巻き込まれて迷惑を被ったひとに対しては申し訳がたたないというか…。

 

迷惑かけたくせに開き直ってんじゃねーよ!っていう気持ちにさせたくないし、そう思われたくない。

 

「アラあの子ちょっとは成長したのね」「あいつ多少はマトモなこと言うようになったじゃん」と見守ってくれる寛大な人もいるかもしれない。全力で感謝するし、私もそういう人になりたい。けど、やらかした本人が周りの人の寛大さをはなからアテにしていくのはなんか違くないか…? と思う。

 

失敗から学ぶのは当人次第だけど、自分が他人にかけた苦労を自分の成長の種として昇華したってことをその人に見せつけてしまうのは、失礼? 残酷? とにかくよろしくない感じがする。

 

自分に至らない点があったときは、その場で反省して、気持ちを切り替えてすぐに挽回するのがたぶんベスト。

 

でも実際のところは、すぐには挽回まで追いつかないこともある。反省してお詫びとお礼を言って別れたあと、時間が経って成長するケースとか、少なくとも私には往々にしてある。

そういうケースでは、次に声をかけるとき、次にご一緒できるときに「前より改善されてるじゃん」と相手に思われたらラッキー、と思っていて。最低限それくらいには成長してないと相手から見たら「失敗の被害被り損(ぞん)」て感じだろうなというか。

 

(このあたりは、私が「懲りない子だね!」と叱られてきて、改善が遅いことに関してコンプレックスを持ってきたからかもしれない。 )

 

私の場合、注意欠陥から来るミスもあるし、要領が悪いタイプの学習システムを搭載しているというか。

 

一度根本的に理解すれば忘れないし応用もわりと効く、他分野との結びつけとかも自然とできるんだけど…。

自分の中で納得いかない部分があっても全体的に把握してその場を乗り切る言動をとるというのがなかなかうまくならなかったというか…。(今はだいぶ改善されたと思うけれど、「その場を乗り切る言動」を習得するのに時間がかかっていることこそまさにソレなんだわ)

 

形式だけとか、古い組織体質だという見方もあるかもしれないが、私は「反省しぐさ」みたいなのを意識してやるようにしてみている。今のところは。

 

怒ったり叱ったりする側からしたら、相手に響かないのが一番虚しいじゃん。

私は「響く」に至るまで時間がかかるタイプなので、私が素のままの言動をとっていると怒った当人は「こいつには響いてねぇな」という感想を持ってしまうと思う。

 

なので、時間稼ぎのために反省しぐさをする。そのしぐさを見た人が「自分が言った内容は響いてそうだな」という手応えが得られれば、ボルテージが落ち着いたり次に言うことを考えたりするので、時間が稼げる。

 

その間に、必死になって「怒っている根本的な理由はなんなのか?」「何に対して謝罪をすると、こちらが持っている『私はあなたに敵意はありません、でもどうしてもスキルやスペックが追いつかず失敗しちゃったんですスミマセン』という気持ちが伝わるのか?」を考える。

 

うまくポイントを押さえてレスできたら、先に書いたベストな展開「その場で反省してすぐ改善する」に進める可能性が出てくる。(ついでに怒った当人にもそのように見える可能性が出てくる)

 

※反省しぐさのことはまた別でまとめておこうと思う。

 

ね? こんなこと、リアルな知り合いが私のことと分かって読んでたら、やばいっしょ? これをひっくるめてお付き合いしたいと思ってくれる!? それはぜひお友達になりましょう…。

 

この記事が助けになる人は絶対いると思う。でも、それと「反省しぐさ」のことをリアルな知人にバラしていいか? というのは完全に別な話だと思ってる。

 

リアルな知人の寛大な気持ちを裏切りたくないから、私はブログを本名でやらない。(少なくともぽんこつライフハックのことは、絶対内緒!)