いまの自分に納得していないと、“架空の実績”に縋(すが)りたくなる

“架空の実績”とは?

「俺は現役時代、偏差値トップのxx大学を受けたんだ!」
(でも実際には不合格で、別の大学に甘んじて通っている)

 

大学2年生くらい、あるいはもっと歳を重ねた人が、こういうふうにして威張って(?)いる… というシーンを見たことはありませんか?*1

 

この彼を仮にAくんとします。Aくんは、まさに、架空の実績に縋っています。

一時的に自分を勇気づけるのに効果的にも見えますが、なにか問題があるのでしょうか?

 

 

ポイントは「現状を受け入れることができているか?」

もちろん「努力した」という過去の事実を誇りに思うのがいけないというわけではありません。

あのとき頑張った! 勇気をだしてチャレンジした! というのは、それだけで素晴らしい。自分のことを存分に褒めてあげてほしいと思います。

 

しかし、先程のA君(大学2年生)が、こうやって不満を抱えて過ごしていたら、どうでしょうか。

「俺は第二志望の大学に入ってしまったから、大学生活は全部イマイチだ。教授陣もxx大学と違って冴えないし、サークルのメンバーも気が合わないヤツばっかり。xx大学に通うはずだったのになぁ」

 

Aくんは、実際には“架空の実績”が手に入らなかったと心の何処かで分かっていつつも、過去に起こったことを受け入れることができていない状態だといえるでしょう。

 

過去に経験した出来事を受け入れない姿勢は、過去の自分の存在や頑張りをも否定することに繋がります。これが、架空の実績に縋ることの怖さであり、問題です。

 

過去を受け入れてこそ、現在と未来を好転させることができる

一方、Aくんと同じく第一志望の大学に不合格だったB君は

“第二志望の大学に入ったけど、尊敬する教授に出会えたし、サークルでも親友ができた。なんだかんだ、この校風は自分に合っているみたい!”

と思っているんだとか。

 

Bくんの場合には、

「俺は現役時代、偏差値トップのxx大学を受けたんだ!」

(実際には不合格で別の大学に通っているが、大学生活は充実している)

という感じになりそうです。

 

B君は、第一志望の大学に不合格だったという事実もまるごと受け入れているんですね。その上で、今の生活に満足して張り合いのある毎日を過ごしています。

 

こういう場合は、第一志望校を目指して頑張った事実は自分の自信につながり、受験の思い出はほろ苦い人生経験の一つとして愛しく感じられるのではないでしょうか。*2

(もちろん不合格を知った直後は落ち込むでしょうが、時間が経てば...)

 

 今の自分を大切にすると、成長のサイクルを回すことが出来る

「この大学生活での生活を最大限たのしもう!」という気持ちで生活しているBさんは、今いる環境でチャンスを引き寄せて、様々な経験を積みながら成長していきます。

 

例えば…

  • 前向きに授業を探す → 気になる分野ドンピシャの授業は見当たらなかったが、めげずに教授プロフィールを調べてみる → 自分が学びたい分野を専門としている助教授が講師をしている授業があった! → 授業を取って、積極的に質問もする → 助教授が、尊敬する教授を紹介してくれた!*3

  • 気になるサークルを複数見つけて、悩んだ末に全部入ってみる → 色んなサークルに顔を出すうちに知り合いが増える → 一緒に活動するうちに親友ができた → 別のサークルでも友達ができて、知り合いが増えていった →勉強の相談や進路の相談をする仲間ができた!*4

 

「どうせ第一志望の大学じゃないし、無難に過ごそう」という思って過ごしていたら、サイクルの入り口に立つことができない あるいは サイクルの途中でやる気を無くして離脱してしまうかもしれません。

よくもわるくも、過去の出来事をなかったことにすることはできません

過去の出来事を受け入れて(よい出来事も不本意な出来事も!) 、今できる最善を考えましょう。

 

この考え方は一見ストイックに思えるかもしれませんが、実は、「過去の自分の頑張りをなかったことにしない」という点で自分に優しい考え方ではないでしょうか。

 

目指していた結果が得られなかったとき、自分の思い通りにならないとき…

ついA君のように考えてしまうことも多いかと思います。

 

加えて、生真面目な人なら「過去の自分の頑張りが足りなかった」と自分を叱り続けたり、あるいは「いつまでもうじうじして情けない」とこれまた自分を説教したりしてしまうかもしれません。

 

でも、「こんなに落胆するほど悔しかったんだな」とか「こんなに必死になれる目標を掲げて頑張るだけの力強さが、自分にはあったんだな」というように自分の頑張りを一旦認めてあげてみてはいかがでしょうか。時間がかかるかもしれませんが、だんだんとB君のような気持ちになってくるのではないかと思います。

少なくとも自分だけは、自分の頑張りを認めてあげよう

もし、頑張ったことが上手く行かなくて、人生に絶望してしまっている人がこれを読んでいるならば、まずは「自分はよく頑張った」と労ってあげてほしいと思います。

 

あなたの出した結果や成果が、世間から「頑張りが足りない」「本気じゃないだろ」とか言われるようなものであったとしても、あなただけは「あなたが自分のベストを尽くした」ということを知っているはずです。

 

悔しさも絶望感も情けなさも、過去のあなたあなたが頑張った証です。世間(そして今の自分が)「もっと頑張れただろう」と思ったとしても、あなたはその時にできるベストを尽くしたのです。

 

どうぞ、今この瞬間の自分を大切にしてください。そして、これからもっともっと、よりよいサイクルを回していけますように。

 

※今回は例として「大学受験が思うように運ばなかった」というストーリーをあげましたが、他の出来事にも応用して考えられると思います。

(就活然り、部屋の片付けや、気合を入れて初めた趣味に3日で飽きてしまったとか、そういう人生のイベント全部に当てはまるのではないかと考えています。)

 

 

 

 

 

*1:私はあります。その彼は、40代を超えていましたが「俺は一番高を受けたんだ!」とことあるごとに言っていました。

*2:高校、大学ともに第二志望に進学して学生生活をエンジョイ、その後、就活でも希望通りにならなかったけれど、なんだかんだ幸せに生きている私が、この記事を書いています。

*3:私の経験談です。別キャンパスで開講されている授業も探したら、ドンピシャな授業と教授を見つけました。

*4:これも経験談です。社会人になった今も、共通の趣味で出かけたり人生相談をしたりしてます。